日本企業でリモートワークがいまいち浸透しない理由とは?
リモートワークの普及とデメリット
2020年はコロナの影響により、リモートワークが大きく浸透しました。
人事的な観点からすると、リモートワークというのはいろいろと労務リスクを抱える仕組みでもあります。
要は「労働時間の把握・算定が困難」ということです。
会社に隠れて、頑張り屋の社員が夜中に会社のPCに接続して仕事をしていたり、頑張り屋の上司が部下に対して休日もメールを確認するように指示をしたり…と、労務管理の目が行き届きにくい仕組みで、人事泣かせとも言えます。
かく言う私も、リモートワークできるようになった直後は、誰に指示されるともなく、夜中であろうが休日であろうが、気になって頻繁に会社のメールをチェックしてしまう状態に陥ったことがあります。
これはいかん!と思い、自分で「正規の就業以外には、会社のPCにリモート接続しない」とルールを決めたものでした。
リモートワークにおける仕事の成果の測り方
さて、今回のタイトルに関して持論を述べたいと思います。
日本企業は「リモートワークが浸透しづらい」環境であると思います。
リモートワークが効果的に成立する一つの条件に、「成果主義の徹底」があげられます。
要は「アウトプットを正確に・公平に・対象社員の納得感がある評価ができる仕組みがある」ことが必要不可欠です。
リモートワークとは、「会社から離れた環境で一人で仕事をすること」を意味することが多いです。
「サテライトオフィス」のように、分室みたいな場所に出勤して仕事することもリモートワークに含める場合もありますが、それを除くと、通常リモートワークは「一人で」仕事をすることを意味します。
そのような環境で「今日一日の仕事の成果は何か」と言われれば「どのようなアウトプットをしたのか」しか確認できるものがありません。
すべての仕事で明確なアウトプットが出るわけではない
例えば、ある資料をまとめた、とか、何何の集計が完了した、などを上司やリーダーに報告・提出することで、彼らは「君は今日一日これをやったのね」と認識できます。
しかし、私は人事制度企画を担当することもありますが、企画業務というのは一日中ウンウンうなって考えても、最終的に何もアウトプットが出ない…なんてことはよくあることです。
もしリモートワークでそのような状態の日があったら、上司や周囲のメンバーは、私が「一日一生懸命考えて何も浮かばなかったのか、単にサボっていただけなのか」を判断する材料はありません。
会社に出勤し、みんなの前でウンウンうなりながら考えていたり周囲に相談したりする姿を上司やみんなが見ていれば、最終的にアウトプットが出てこなかったとしても「仕方ないね」と納得できるかもしれません。
ですが、リモートワークで一人で仕事をしているならば、人間の心情として「本当にちゃんと仕事してたのか?」と疑うのも無理はありません。
日本と欧米の違い
このあたり、リモートワークが盛んな欧米の企業であれば、「ジョブスクリプション」で職務定義を厳格にしたり、完全成果主義を徹底していたりしていて、企業・社員ともにその前提で労働の提供・受領をしているので、リモートワークもマッチしていると思われます。
社員からすれば、「しっかりとアウトプットを出せば、どんな働き方しても文句ないよね」となるでしょう。
しかし、日本企業のように
・まだ完全に年功序列が捨てきれていない
・成果主義を徹底できない
・良く言えば「人情ある」/悪く言えば「甘い」環境
だと、「アウトプットは二の次で、みんなの目の前で自分が頑張っている『姿を見せること』が一番重要」だったりするわけです。
そしてそれが、育児や介護と仕事の両立が、今なお困難である理由でもあると思っています。
PC内蔵のカメラを使って、それをみんなで同じプラットフォームに接続することで、物理的に就業場所が離れていても一緒の場所で仕事をしているような環境を構築できる仕組みを見たことがありますが、これは「本当の意味でのリモートワーク」とは思っていません。
「サボらないよう監視できる状況を作り出しているだけでは?」とうがった見方をしてしまいます。
さて、リモートワークの今後はどうなるのでしょうか…?