人生100年時代は、身体が動かなくなるまで働き続けられる仕事をする必要がある?
人生100年時代というけれど…
人生100年時代…最近、いたるところで聞かれるこの言葉ですが、受け取る印象は様々です。
そんなに長く生きたくない、その間の生活をどうすればよいのか、という悲観的な意見も多く見受けられます。
一時期世間を賑わせた「老後の資金は2000万円必要」という言葉が、今でも根強く残っているのもそれの現れだと思っています。
現時点での多くの企業が最終的な定年の年齢として設定している65歳以降、仮に100歳まで生きるとした場合、多くの方が35年もの間、年金だけで十分な生活ができない状態なのではないでしょうか。
また、35年間も何も目的もなく過ごすというのは、あまりに退屈すぎます。
ということで、今回の記事のタイトルにつなげます。
死ぬまで働かなければならない
「身体が動かなくなるまで働き続けられる仕事をし続ける」
この表現については、「死ぬまで働かなければならない」という意味と、「死ぬまで誰かの役に立ちたい」という2つの側面を持っています。
まず、「死ぬまで働かなければならない」について。
こちらは、退職金と年金という老後の2大収入をあてにできない時代が遅かれ早かれやってくる、という考えています。
そのためにも、会社勤めの方は、会社の定年は労働人生のゴールではなく、あくまでも「通過地点」ととらえ、定年以降会社に頼らないで(定年後の再雇用や、相談役・顧問のような形で委任契約を結ぶケースもあると思いますが)自分で収入を確保する準備を、現役時代にしておく必要があります。
その準備は
・現役時代の経験
・趣味や資格取得
・団体への参加
・地域活動等を通じた経験
・人脈
まだまだ、いろいろな観点・チャネルがあるでしょう。
裏を返せば、現役時代の自分の活動範囲が「勤めている会社のみ」の状態の方は、「死ぬまで働き続けることができる仕事」を見つけることができる可能性が非常に低くなると言えます。
現役時代は非常に多忙で、資格取得のための勉強や地域の活動への参加に費やせる時間なんて全然ないよ、という方も多いでしょう。
しかし、そのような状態が続いたままで現役時代を終えてしまうと、定年や再雇用期間の満了などで会社との接点が全くなくなってしまった瞬間に、自分ひとりで糧を得る術を何ももっていない状態になる可能性が非常に高くなります。
その時になって、「これから20~30年もこれだけの年金や退職金だけでは過ごせそうもないぞ」と気付き、「何かしらの仕事をしなければならない」と思っても時既に遅し。
定年を迎えてから初心者としても始められるような仕事は、後述するように今後外国人労働者や機械がどんどん代替していくようになるため、私のような40代の人間が60歳を迎えるときには、仕事探しに非常に苦労する(いつまでも見つからない人も出る可能性も)状況が予測されます。
そのため、現役時代の忙しい時間の合間を縫って、今のうちから「死ぬまで働かなければならない」自分の余生にどのようにして生計を立てていくのかを考え、それに向けて日々少しずつでも準備を進めていく必要があります。
身体が動かなくなるまで働き続けられる
また、「身体が動かなくなるまで働き続けられる」仕事とは具体的には何でしょうか。
まず、「身体が動かなくなるまで」ですから、当然ですが「身体が動かなければできない仕事」は除外されます。
例えば、工事現場や工場の作業員などのいわゆる「肉体労働」や、タクシー運転手や宅配ドライバーなどの「運転業務」などは、身体が健康でなければ行えない仕事でしょう。
そのような「実際に身体を動かして労務を提供する」ことが仕事そのものである場合は、当然ながら「身体が動かなければ」できません。
では、「身体が動かなくてもできる」仕事とはなんでしょうか。
「身体が動かない」と一言で言っても、様々な状態があります。
例えば、通常の老化現象である「長時間立っていられない」「長時間、高度な身体的集中力を要する作業はできない」などの状態であれば、座って作業をするデスクワークやオペレーター、カウンセリングなどの仕事が考えられます。
次に、「ベッドから起き上がることができない」「歩行が困難である」などの状態であれば、就業場所に通勤することが難しいでしょう。
そのため、「ベッド上でPCを利用したサービス(ネットショップ・オンラインカウンセリング)」や「本やブログの執筆を通じた情報提供サービス」などの仕事が考えられます。
さすがに、「話すことも、PCを操作することもままならない」状態であるならば仕事をするのは難しいでしょうが、そのような状態でも、考え方・着眼次第で寝たきりの状態でも仕事をすることは可能です。
これを読まれた方の大半が、「そんな状態になってまで仕事なんかしたくない」とお考えでしょう。
しかし、どのような状況になるのかはっきりと誰にもわからないからこそ、あらゆる可能性を、しかも最悪の状況の可能性を考えておくべきなのかな、と思うのは私だけでしょうか。
また、高齢になるとただでさえ「加齢」というハンデを負っています。
肉体労働でなくても、若いときほど長時間、集中して仕事をすることは困難な状況になっていることが多いでしょう。
それを補っても余りあるレベルの、密度の濃い仕事をし、価値を提供し続けることができなければ、対価を払ってくれる客(給料を払ってくれる組織)はいません。
仕事をする、という観点で見たときには、身体能力がどんどん低下する「加齢」はデメリットしかないと思われるでしょう。
しかし、長年の経験を積み重ねてきた、という点では、「加齢」は大きなメリットです。
特に知的労働者に関しては、高齢者のベテランは多くの経験とそこから得られた知識を積み重ねてきたプロ中のプロです。
その経験と知識を最大限にアウトプットできる環境を見極めることができれば、どんなに年をとっても仕事の対価を得続けることができます。
人生100年時代を主体的に謳歌するようにしていきたいものですね。