競業避止義務とは?転職時の制限について
はじめに
転職を考える際、「今の会社と競合する企業に転職してもいいのだろうか」「退職後に同じ業界で働くことに制限はないだろうか」といった不安を抱く方は少なくありません。また、企業の経営者や人事担当者の立場からは、「優秀な社員が競合他社に転職してしまう」「培った技術やノウハウが流出してしまう」といった懸念を持つこともあるでしょう。
これらの問題に関わってくるのが、「競業避止義務」という考え方です。しかし、この競業避止義務は、労働者の職業選択の自由という憲法上の重要な権利とも関係する、非常にデリケートな問題となっています。
この記事では、労働法の観点から競業避止義務について、転職を考えている労働者の方、そして企業の担当者の方の両方にとって役立つ情報を、わかりやすく解説していきます。
競業避止義務とは何か
基本的な意味と目的
競業避止義務とは、労働者が在職中や退職後に、雇用主と競合する事業を行ったり、競合他社に就職したりすることを制限する義務のことです。企業が長年かけて築き上げた営業秘密や顧客情報、技術的なノウハウなどが、退職した従業員を通じて流出することを防ぐことを目的としています。
企業にとっては、重要な経営資源を守るための防御策という側面があります。特に、研究開発に多額の投資をしている技術系企業や、顧客との信頼関係が重要な営業職の多い企業では、競業避止義務への関心が高くなる傾向があります。
一方で、労働者にとっては、憲法第22条で保障されている職業選択の自由や、長年培ってきた専門性を活かして働く権利に関わる問題です。そのため、競業避止義務は、企業の正当な利益と労働者の基本的権利とのバランスをどう取るかという、非常にデリケートな問題なのです。
在職中と退職後で異なる考え方
競業避止義務を考える際には、在職中の義務と退職後の義務を分けて理解することが重要です。
在職中の競業避止義務については、労働契約に基づく誠実義務の一環として、特別な合意がなくても当然に認められると考えられています。雇用関係が継続している間は、労働者は使用者の利益を不当に害するような行動を控える義務があるというのが、一般的な考え方です。
これに対して、退職後の競業避止義務は、労働契約が終了した後の話ですから、原則として労働者を拘束することはできません。日本国憲法が保障する職業選択の自由は、退職後の労働者にも当然に認められるべきものだからです。
しかし、企業と労働者の間で明示的な合意があり、一定の条件を満たす場合には、退職後であっても競業避止義務が認められる場合があります。これについては、後ほど詳しく解説します。
競業避止義務が問題となる典型的なケース
退職者の転職先をめぐるトラブル
実務上、最も多いのが退職者の転職先をめぐるトラブルです。営業担当者が競合他社に転職し、前職の顧客リストを持ち出して営業活動を行うケースや、技術者が競合企業に転職して、前職で開発していた技術と類似の製品開発に携わるケースなどがあります。
こうしたケースでは、元の勤務先企業が「営業秘密の不正使用」「競業避止義務違反」を理由に、損害賠償請求や差止請求を行うことがあります。訴訟に発展するケースも少なくありません。
また、転職先の企業が訴えられるケースもあります。前職での秘密情報を知りながら雇用したとして、共同不法行為責任を問われる可能性があるためです。
独立開業や起業をめぐる問題
退職後に独立開業したり、起業したりする場合にも競業避止義務が問題となることがあります。特に、前職と同じ業種で事業を始める場合、前職の顧客に営業をかけたり、前職の従業員を引き抜いたりすることで、トラブルに発展するケースが見られます。
飲食店や美容室、コンサルティング業など、個人の技能や人間関係が重要な業種では、こうした問題が起こりやすい傾向があります。
副業・兼業をめぐる問題
近年、働き方改革の一環として副業・兼業を認める企業が増えていますが、この場合にも競業避止義務が問題となることがあります。在職中に競合他社で副業することは、原則として認められません。
ただし、何をもって「競業」とするかは、必ずしも明確ではありません。直接的な競合関係にある企業での副業だけでなく、間接的に利益が相反する可能性のある副業についても、慎重に判断する必要があります。
競業避止特約の有効性を判断する基準
競業避止特約とは
競業避止特約とは、労働契約や就業規則、退職時の誓約書などにおいて、労働者に競業避止義務を課す約束のことです。多くの企業では、入社時に競業避止条項を含む誓約書への署名を求めたり、就業規則に競業避止に関する規定を設けたりしています。
しかし、競業避止特約があれば自動的に有効というわけではありません。裁判所は、個別のケースごとに、その特約が合理的な範囲内のものかを厳格に審査します。
守るべき企業の正当な利益があるか
まず重要なのは、競業を制限することで守ろうとする企業の利益が、法的に保護する価値のあるものかという点です。単に「元従業員に競合他社で働いてほしくない」という希望だけでは不十分です。
具体的には、高度な営業秘密や技術情報、独自のノウハウ、長年かけて構築した顧客関係など、企業が投資して築き上げた資産を保護する必要性が認められる場合に、競業避止義務が正当化されます。
逆に言えば、特に秘密性の高い情報に接していない一般的な従業員や、汎用的なスキルしか持たない従業員に対して、広範な競業避止義務を課すことは難しいということになります。
従業員の地位や職務内容
競業避止義務が認められるかどうかは、その従業員の地位や職務内容によっても変わってきます。
役員や管理職、重要な営業秘密にアクセスできる立場にあった従業員、研究開発部門の技術者など、企業の中核的な情報に触れる機会が多かった人については、競業避止義務が認められやすい傾向があります。
一方、一般的な事務職や、特別な情報にアクセスしていなかった従業員に対して、厳格な競業避止義務を課すことは、合理性を欠くと判断される可能性が高くなります。
制限の期間が妥当か
競業避止義務の制限期間も、有効性を判断する重要な要素です。無期限や極端に長期間の制限は、労働者の職業選択の自由を過度に制約するものとして、無効と判断される可能性が高くなります。
一般的には、1年から2年程度の制限期間であれば合理的と認められることが多いですが、これも業種や職種、保護すべき情報の性質によって変わってきます。技術革新が速い業界では、より短い期間しか認められないこともありますし、逆に長期的な顧客関係が重要な業界では、やや長めの期間が認められることもあります。
制限の地域的範囲
競業を禁止する地域的範囲も重要な判断要素です。全国規模での制限が必要な業種もあれば、地域密着型のビジネスでは限定的な範囲の制限で十分な場合もあります。
たとえば、地域の小売業や飲食店であれば、同一市町村内や商圏が重なる範囲に限定した制限が合理的ですが、全国展開している企業の場合には、より広い範囲での制限が認められる可能性があります。
しかし、いずれの場合も、制限範囲は保護すべき利益との関係で必要最小限度でなければなりません。
代償措置の有無
競業避止義務を課す代わりに、企業が労働者に対して何らかの代償措置を提供しているかも、重要な判断要素となります。
在職中に競業避止手当のような特別な手当を支給していた場合や、退職後に一定期間の経済的補償を行う場合には、競業避止義務の有効性が認められやすくなります。逆に、何の代償もなく一方的に競業を制限するような特約は、合理性を欠くと判断される可能性が高くなります。
特に、退職後の競業避止義務については、労働者の生活の糧を奪うことにもつながりかねないため、相当な代償措置がない場合には無効と判断されるケースが多く見られます。
実際の裁判例から見る判断基準
競業避止義務が認められたケース
過去の裁判例を見ると、次のようなケースでは競業避止義務が有効と判断される傾向があります。
企業の役員や幹部社員が、重要な経営情報や顧客情報を持って競合他社に転職したケースでは、競業避止義務違反が認められることが多くなっています。こうした立場の人は、企業の中枢的な情報に広くアクセスできる立場にあり、その情報の流出による損害も大きいと考えられるためです。
また、特殊な技術やノウハウを持つ技術者が、同業他社に転職して類似の製品開発に関与したケースでも、一定の制限が認められることがあります。ただし、この場合でも、制限期間や範囲が限定的であることが求められます。
競業避止義務が否定されたケース
一方で、競業避止義務が無効と判断されたケースも多数あります。
制限期間が長すぎる場合、たとえば5年や10年といった長期間の競業禁止は、労働者の職業選択の自由を過度に制約するものとして無効と判断されることが一般的です。
また、何の代償措置もなく、退職後の競業を広範に禁止するような特約も、無効とされることが多くなっています。特に、一般的な従業員に対して、管理職並みの厳格な制限を課すことは、合理性を欠くと判断される傾向があります。
さらに、制限の範囲が曖昧で、何が禁止されているのか明確でない場合や、実質的にどの企業にも就職できないような過度に広範な制限も、無効と判断されます。
企業が取るべき競業避止対策
合理的な競業避止規定の作成
企業が競業避止対策を講じる場合、まず重要なのは、合理的で有効性が認められる競業避止規定を作成することです。
就業規則や雇用契約書に競業避止条項を設ける際には、守るべき正当な利益を明確にし、制限の対象となる職務や地位、制限期間、制限地域などを具体的に定めることが重要です。また、可能であれば、代償措置についても規定しておくことが望ましいでしょう。
特に、退職後の競業避止については、一律に全従業員に課すのではなく、役職や職務内容に応じて段階的な制限を設けるなど、柔軟な対応が求められます。
秘密保持契約との組み合わせ
競業避止義務だけでなく、秘密保持義務についてもしっかりと規定することが重要です。営業秘密の不正使用については、不正競争防止法による保護も受けられますが、そのためには、情報を秘密として管理していたことを示す必要があります。
入社時や重要なプロジェクトへの配属時に、秘密保持契約を締結し、何が秘密情報に該当するのか、その取扱方法はどうあるべきかを明確にしておくことが効果的です。
退職時の手続きの整備
退職時には、貸与物の返却だけでなく、保有する情報の返却や削除、秘密保持義務の確認なども含めた、体系的な手続きを整備することが重要です。
退職時に改めて誓約書への署名を求める企業も多く見られますが、この場合も、過度に広範な制限を課すのではなく、合理的な範囲に留めることが必要です。
また、退職者との良好な関係を維持することも、トラブルを防ぐ上で重要です。円満な退職であれば、元従業員も自主的に配慮してくれる可能性が高くなります。
日常的な情報管理の徹底
競業避止対策の基本は、日頃からの適切な情報管理にあります。重要な営業秘密や顧客情報へのアクセス制限、社外への持ち出し制限、廃棄ルールの整備など、情報セキュリティ対策を徹底することが重要です。
また、従業員に対する教育も欠かせません。何が秘密情報に該当するのか、どのように取り扱うべきかを定期的に研修し、従業員の意識を高めることが、情報漏洩の防止につながります。
労働者が注意すべきポイント
入社時・在職中の注意点
転職や入社の際には、雇用契約書や就業規則の競業避止に関する条項をよく確認することが重要です。署名する前に、どのような制限があるのか、その期間や範囲はどうなっているのかを理解しておくべきでしょう。
疑問点があれば、入社前に質問して明確にしておくことをお勧めします。また、過度に広範な制限が定められている場合には、交渉の余地があるかもしれません。
在職中は、職務を通じて得た情報の取扱いには十分注意が必要です。個人的なメモであっても、業務上の秘密情報が含まれている場合には、適切に管理し、退職時には返却や廃棄が必要になることもあります。
転職活動時の注意点
転職を考える際には、自分が競業避止義務の対象となっているかを確認することが第一歩です。就業規則や雇用契約書、過去に署名した誓約書などを確認しましょう。
競業避止義務がある場合でも、それが必ずしも有効とは限りませんが、トラブルを避けるためには、慎重な対応が求められます。可能であれば、転職先を決める前に、現在の勤務先に相談したり、専門家に相談したりすることも検討すべきでしょう。
転職先の企業にも、前職での競業避止義務の有無を正直に伝えることが重要です。後になってトラブルが発覚すると、転職先との信頼関係にも影響する可能性があります。
退職後の行動で気をつけること
退職後は、前職の秘密情報を使用しないことはもちろん、前職の顧客に対する不当な営業活動も控えるべきです。たとえ競業避止特約がなくても、不正競争防止法違反や不法行為として責任を問われる可能性があります。
特に注意が必要なのは、顧客情報の持ち出しです。顧客リストや連絡先などは、たとえ自分が営業して獲得した顧客であっても、会社の資産と考えられることが一般的です。これらの情報を持ち出して使用することは、大きな法的リスクを伴います。
また、前職の従業員の引き抜きについても、計画的・組織的に行った場合には、不法行為として損害賠償請求を受ける可能性があります。
トラブルになった場合の対処法
もし競業避止義務違反を理由に、前職の企業から警告や請求を受けた場合には、安易に認めたり、示談に応じたりする前に、専門家に相談することをお勧めします。
競業避止特約が無効である可能性もありますし、仮に有効であっても、実際の行為が義務違反に該当しない場合もあります。弁護士や社会保険労務士などの専門家に相談し、適切なアドバイスを受けることが重要です。
まとめ:バランスの取れた対応が重要
競業避止義務は、企業の正当な利益を守る必要性と、労働者の職業選択の自由という基本的権利とのバランスをどう取るかという、非常にデリケートな問題です。
企業側としては、過度に広範な制限を課すのではなく、本当に守るべき利益を明確にし、合理的な範囲で競業避止規定を設けることが重要です。また、日常的な情報管理の徹底や、従業員との良好な関係構築も、トラブル防止には欠かせません。
労働者側としては、入社時や退職時に競業避止に関する条項をよく確認し、疑問点は明確にしておくことが大切です。転職の際には、前職での義務を踏まえた上で、慎重に行動することが求められます。
いずれの立場であっても、トラブルが生じた場合や、判断に迷う場合には、専門家に相談することをお勧めします。競業避止義務に関する判断は、個別の事情によって大きく変わってくるため、一般論だけでは対応が難しいケースも多いからです。
労働市場の流動化が進む現代において、競業避止義務をめぐる問題は今後も増加していくと予想されます。企業も労働者も、お互いの立場を理解し、法的なルールを守りながら、より良い労働環境を築いていくことが求められています。
当事務所では、競業避止義務に関するご相談も承っております。企業の担当者の方、転職を考えている労働者の方、どちらの立場からでも、お気軽にご相談ください。個別の状況に応じた適切なアドバイスをさせていただきます。
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